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No.022 第18章 END 1658文字

こうくん

半年の1人暮らしを終えてお金の有り難みが身に染みたこうくんはさらなる間違えた方向に走ります。卓球ではいくらやってもお金にならないから硬式テニスで世界1になると思い込み初めました。と言っても世界1を目指せるようなスクールはある訳もなく近所のおばちゃん達のテニスクラブに入って練習に混ぜてもらうようになりました。近所のおばちゃん達と練習しても上手くなる訳無いのに一般常識が無さすぎました。18歳から2年くらいやって20歳で諦めました。そして就職です。プログラマーに憧れて居たのでソフトウェア会社に就職しました。東京の山手線の大塚駅から徒歩10分です。電車通勤が辛かったです。そしてプログラミングも良く解りませんでした。1年も経たずに辞めてしまいました。次に就職したのが土浦市に有るソフトウェア会社でした。車で1時間くらいでした。そこでプログラミングを憶えてプログラマーらしくなりました。しかし赤字経営で倒産してしまいました。次に就職したのがつくば市にあるソフトウェア会社でした。そこでは建築土木の積算ソフトウェアを1から作ることになりさっぱり解らず半年も経たずに辞めました。その後土浦市のソフトウェア会社に派遣で入ったのですが半日で辞めました。何だか良く解らなくなっていました。自分の事がです。そしてぷうたろうです。ニートとも呼ばれて居るかも知れないのですがこうくんはぷうたろうだったと思います。また25歳くらいでテニスを初めました。上手くなるわけないのにテニスを1年くらいやったかもです。それからぷうたろうになり28歳くらいで運動しなさすぎて体調不良になりプロサッカー選手を目指してサッカーを初めようとします。しかし良いサッカーチームが見つからず市役所の体育協会に電話したらフットサルチームを教えてもらいフットサルを週に1回するようになりました。週1回だと体力が付いて行かず近所の運動公園でフットサルのドリブルの練習をしたりして働かなかったです。プログラマーの仕事をしていれば良かったのになと今となっては後の祭りです。あ〜また懺悔(ざんげ)が有ります。18歳〜25歳頃の1ヶ月間くらい北側の窓から後ろの家が空き家に成って居る時のことです。道路を挟んで斜め後ろの家を見てました。夜です。まづいことをしたなと反省しております。自分の部屋の照明を消して暗くして北側の窓を開けて見てました。悪く言えば1ヶ月間くらい覗いていたと言う事になると思います。やらかしました。暇だったのです。やる事が何も無かったです。25歳過ぎてからは北側の部屋ではなく姉が嫁に行き空いた東側の部屋に移りました。北側に窓がなかったので見れなくなりました。と言うより1ヶ月間くらいでやばいなと思う様になりました。見て居ても得する事が何も無いかなと思う様になりました。覗くと言うより見ていただけなのですけど。写真を撮っていません。双眼鏡も使って居ません。ただ目で見ていただけです。それがいけないと言われれば言い返す言葉はありません。1ヶ月間の過ちと言うことで許してもらいたいです。そして話を戻しますがフットサルです。ここから書こうか書くまいか迷うところです。こうくんの人生を終わらせる統合失調症の発病です。この統合失調症の発病は書きたくないのです。色々と合ったのです。また発病したら嫌だし書きたくないのです。29歳か30歳で発病しました。そして1ヶ月間か2ヶ月間は続きました。父親が「精神科に行ったらどうだ」と言う話をしたので精神科へ行きました。薬で幾らか治まりました。その後半年程精神科へ入院しました。半年して退院しても辛くまた入院してすぐ退院して今に至るまで月に1度の通院治療が続いています。ここでこうくんノンフィクションは終了です。現在のこうくんがどのような暮らしをしているかは書けないし書く気もないのでここで終了とさせてもらえると嬉しいです。次回からは普通のブログに戻そうと思います。と言うか書く事が有るのか心配です。

皆さんの幸運をお祈りします。❤

 

 

 

 

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