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No.015 第11章 茎崎町01 974文字

こうくん

1983年昭和58年に茎崎村が茎崎町へ人口増化で昇格しました。🎉こうくんが中学2年生14歳の時です。🎊この頃は信号🚥2個だけではなく沢山(たくさん)10個以上は作られていました。🙌自転車で行ける距離にコンビニ🏪(セブンイレブン)も出来ました。😀発展して行っていた時です。🤩(現在は過疎化状態です。😨)中学1年の修学旅行で場所はどこに行ったか憶えてい無いのですが班ごとに風呂に入りに行くと言う事がありました。🥳男子風呂に行く途中に女子風呂の前を通って行くと言う事がありました。🙄当然女子風呂の扉は閉まっている時に通る訳ですが10m20mくらいの距離で女子風呂の扉が開きました。😳で慌ててこうくんは目を逸らしたのですが何人かの男は開いていた時間3秒〜5秒くらいの間をずっと見ていたらしいです。😱こうくんは女子着替え室の記憶が残ってい無いのですが後日他の男が「白かったねぇ。😍」と言うのに合わせて「そうだねぇ。😍」と相槌をうって女子から反感をかっていました。😂中学1年生の記憶と言うとあぁ大事件がありました。😱他の人にとっては何の関係も無い話ですけど。😅「お◯◯氏」と言う元卓球の世界チャンピオンの本の宣伝に「笑いを忘れた日」と言う言葉が使われていたのです。😰卓球で強くなるには「笑いを忘れなくちゃ行けないんだ。😵」と歪んだ解釈をしてしまいました。🥺それまで明るかったこうくんが急に暗い少年になりました。🤔クラスで喋らない笑わない暗い少年期の到来です。😭完全に人生を失敗する出来事でした。😤あの記事さえ無かったら違う人生が合ったかも知れないです。🥺それくらい人生を左右した言葉でした。😨それと担任の教師が何が言いたいのかよくわからない人で大変でした。😱その教師は1年生と3年生の時の担任になるのですがこの教師もこうくんの人生を踏み外す事になった1因になります。😹こうくんは「笑いを忘れた日」と言う記事を見て暗くなって行ったのですが担任も給食の時間帯に「食事中くらい黙ってたべろ。😤」と怒る人でした。🥸会話したり笑ったり楽しくしてる男が嫌いなようでした。😓無言の男になる原因になりました。😥教師や上級生に反発することが出来ない少年でした。😱正しい間違えているに関係なく言う事を聞くしか無い少年でした。🥺後に先輩を持ち上げ後輩を怯(おび)えさせる少年へと変わって行きます。😰それは次章で書けたら書いて行きます。🥳

皆さんの幸運をお祈りします。❤️

 

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